家族の実話エピソード

【実話】娘が小学4年〜中学3年まで不登校…母娘がそれぞれ辛かったことや親にできる対応

娘が小学4年生のある朝、いつものように娘を起こしに行った私に向かって、娘は気弱な声でこう言った。
「頭痛い…」
熱はないが体調が悪そうだったので、その日は大事をとって学校を休ませた。
夜にはだいぶ元気になっていたので、大丈夫だろうと思いそんなに気にしていなかった。

しかし次の日の朝もその次の日の朝も、起こしに行った私に娘はこう言うのだ。
「頭痛い…」「お腹痛い…」

何日も同じことが続くので病院に連れてこうとしたが、娘はそれに応じてはくれなかった。
仕事も忙しいし休むこともできない、でも娘をひとりで置いていくのも心配、色々な気持ちが混ざり合った私は、気付けば娘に向かって大声を上げていた。
しかしどんなに大声を上げても、どんなに怒っても、娘はただ泣き叫ぶだけで絶対に学校には行こうとしなかった。

正直私はこの時点で、娘がなぜ学校に行きたくないのかが分からなかった。
ただ、毎日異常なほど泣き叫ぶ娘を見て「ただ事ではない」というのだけは感じていた。それでも毎日娘を起こし続けた。

そして不調を訴えてから1週間が経った日の朝、この日はいつものやり取りはせず、私は娘にただ一言だけ伝えた。
「学校行かなくてもいいよ」
その一言を伝えた時の娘の顔は今でも忘れられない。少しホッとした様子の娘は、私に向かって小さく微笑んでくれた。

それからは娘の気持ちに寄り添うように心掛けた。「不登校」という現実に向き合う覚悟をしたんだと思う。
不安も悩みも辛さも、娘が話してくれる限り黙って聞いた。
こころも成長しきれていない10歳の娘にとっては、とても辛く苦しい思いをたくさんしたのだろう。
自分自身では受け止めきれない程の大きな感情を、必死で現すために泣き叫んでいたのだろう。
私はこの時はじめて、娘は「学校へ行かない」のではなく「学校へ行けない」のだということがようやく理解できた。

娘曰く、この頃の記憶はほとんどないらしい。それは本当に覚えていないのか、それとも辛い出来事を思い出したくないだけなのかは未だに分からない。
それでも必死に自分の気持ちと戦い、小学6年生に進級した頃には教室で授業を受けれるまで回復した。
母心としても一安心だった。笑顔で学校へ通う娘を見て、もう大丈夫だろうという気持ちでいっぱいになった。

しかし、そんな平穏な日も長くは続かなかった。
2学期頃から徐々に休みがちになり、3学期に入ってからは教室に入ることもできなくなってしまった。
娘もなぜ行けなくなったのか分からなかったそうだが、もしかしたら中学進学へのプレッシャーを感じていたのかもしれないと私は思っている。
私が付き添わないと学校へ入ることすらできなかったのは、環境の変化についていけず、不安でいっぱいになっていたのかもしれない。

卒業式すらも出たくないと言っていた娘だが、担任の先生のサポートもありなんとかみんなと同じように参加することができた。
本当に色々なことがあった小学校生活。どうしていいか分からなくて娘も私も精神的に参ってしまうことも多々あったが、どんな形でも娘の成長をひとつ見届けることができ、涙が止まらない1日になった。

そして中学校生活のスタート。1学期はなんとか毎日学校へ通うことができたが、2学期からは再び行けなくなってしまった。
この頃から娘の顔から笑顔が消えた。無表情というか感情を失ったような感じで、毎日ただ呼吸をしているだけという状態だった。
泣き叫んで感情を現わしていた小学校時代とは明らかに違う。生きる気力すら感じ取ることができない娘の姿は、今思い出しても胸が痛む程だ。

もう私ひとりだけの力では娘をサポートすることが難しいと思い、思春期外来を受診することを決めた。
思春期外来とは、小児科の中にある特殊専門外来のひとつで、身体の症状だけではなくここの症状も専門的に診てくれるところ。
もし娘に合わなかったら別の対応を考えればいい、とにかく行ってみようという気持ちで受診した。

カウンセリングと小児科医の診察、身体の病気の可能性がないか血液検査などを1日がかりで行い、娘は疲れ果ててぐったりしていた。
それでも、今後通院を続けるかどうか問われたとき、娘は「続けてみる」と答えてくれた。
こころが疲れ果てて何も考えれない状態でも、どこかで「変わりたい」と思っていたのだろう。娘の返答を聞いた私は一歩前に進めたような気がして少しホッとした。

思春期外来の受診は月に1回。カウンセリングと小児科医の受診をメインに行う。
そんなに堅苦しいものではなく、最近の出来事などを話すくらいで、先生たちは無理強いは絶対にしないで娘の状態に合わせた対応を取ってくれる。
娘が笑顔で話せたときは、それをとても喜んで褒めてくれる。そんな先生たちの対応に安心したのか、娘は抵抗なく3年間通院することができた。

娘の中で思春期外来の通院はお守り的な存在のようだ。受診するとなんとなく安心すると言う。
きっと、自分を変えたいという気持ちに対して、思春期外来の通院を続けているという行動が、娘の自信につながっているのであろう。
おかげで通院をはじめてから半年程で、娘の気持ちも安定し笑顔が戻ってきた。
それでもひどく情緒不安定になることもあるが、そこにはちゃんと喜怒哀楽が現れている。以前のように生きる気力すら感じ取れないということはなくなった。

相変わらず学校へはほとんど行けていないが、友達と遊んだり、好きなことをしたり、楽しいと思えることが増えたようだ。
修学旅行や運動会などの学校行事にも参加することができ、娘なりに「今の自分にできること」を一生懸命やっているのがとても伝わってきた。

そして、自分自身で決めた高校進学という道。不安と緊張で試験の直前まで泣いていた娘だが、無事合格し4月からは高校生だ。
不登校になってから6年。辛いことの方が多かったかもしれないが、貴重な体験もたくさんできたとも思っている。
娘は辛く苦しい思いをした分、相手の気持ちを思いやることを学んだ。親ばかかもしれないが、本当にこころの優しい子に成長してくれたと思っている。

不登校になる理由は十人十色で、一概にこれが原因とは言えないとてもデリケートな問題だ。
親としては何とか学校に行ってほしいと願うものだろう。私もはじめはそう思っていた。でもそれは「親の願い」であり「子供の願い」ではない
いちばん大切なことは子供の健康。身体もこころも健康でなければ何もできない。子供のこころの声をしっかり聴いてあげ、サポートすることが親にできる唯一のことだと私は思う。

学校へ行けなくても家で勉強はできる。学校へ行けなくても別の形で人との関わりを学ぶことはできる。学校へ行けなくても未来へつながる道はある。
色々な選択肢があるということを伝えたら、あとは子供の判断に任せればいいと私は思う。
「親が決めた道」と「自分で決めた道」では、子供自身の目的や責任感が大きく変わるだろう。
大切な子供の人生、子供が笑顔で人生を送るために親として温かく見守っていくことが大切だと感じる。

ただ、温かく見守るということはそんなに簡単なものではないだろう。
娘が不登校になってからの6年間、何が正しいのかが分からず悩み続けた。
周囲から「甘やかしているだけ」「親として最低」「親がすべて悪い」など冷たい言葉を投げかけられたことも多々あった。

学校の先生からは「なんとか連れてきてください」と言われ、子供の気持ちと板挟みになり、とても辛い思いもしてきた。
すべてを投げ出して逃げたいと思ったこともある。それだけ私自身も追い込まれていたのだろう。娘に気付かれないように、ひとり部屋で泣いたこと多々もあった。
でも、私以上に娘はもっと辛い思いをしている。私が笑っていなければ、娘はもっと辛くなる。そうやって自分に言い聞かせてなんとか乗り越えてきた。

とは言え親だってひとりの人間だ。無理しすぎはやっぱり良くないだろう。
周囲の冷たい言葉なんか気にせず、「なんとかなるだろう」とゆったりとした気持ちでいることが必要だと思う。
子供が笑顔で毎日を過ごせることは決して当たり前のことではない。でも、親として子供の笑顔を取り戻すサポートはできる。
どれだけ時間がかかったとしても、子供のペースを大切にしてゆっくりやっていけばいい。そして、不登校と戦う子供の気持ちを目いっぱい褒めてあげる。
「頑張って」ではなく「よく頑張ったね」。心の底からそう伝えてあげよう。それが親にできる最高の対応だと私は思う。

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