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育児中の心に刺さる詩、6選

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サプリメントのように、デザートのように。
心のエネルギーや潤いになるような、育児中の心に刺さる詩をご紹介いたします。



「自分の感受性ぐらい」 茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ

(詩集「自分の感受性くらい」)

【茨木のり子】
詩人、エッセイスト、童話作家、脚本家。
1926年(大正15年)6月12日~2006年(平成18年)2月17日。
代表作は、詩集「鎮魂歌」、詩集「自分の感受性くらい」、詩集「見えない配達夫」。

詩を読んでみませんか

いきなり厳しいお言葉。
ですが、ごもっとも。

育児中は心がすさむこともあります。

嵐のように襲いかかるイヤイヤ期、反抗期。
睡眠不足。
ワンオペ育児。
時に受ける理不尽な仕打ち。
保活。
ぼっち育児。
「孤」育て。

けれど、それだからといって、感受性をおろそかにして良いわけがありません。

こどもの健やかな心の成長のためにも、保護者の心の潤いは大切です。そして、何より、保護者自身のためにも。

そこで、自分の感受性のためにも、少しだけでいいので、詩を読んでみませんか?

自分の感受性くらい、自分で守ってあげましょうよ。

「夕方の三十分」 黒田三郎

コンロから御飯をおろす
卵を割ってかきまぜる
合間にウイスキーをひと口飲む
折り紙で赤い鶴を折る
ネギを切る
一畳に足りない台所につっ立ったままで
夕方の三十分
僕は腕のいいコックで
酒飲みで
オトーチャマ
小さなユリのご機嫌とりまでいっぺんにやらなきゃならん
半日他人の家で暮らしたので小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う
「ホンヨンデェ オトーチャマ」「コノヒモホドイテェ オトーチャマ」
「ココハサミデキッテェ オトーチャマ」
卵焼きをかえそうと 一心不乱のところに
あわててユリが駈けこんでくる
「オッシッコデルノー オトーチャマ」
だんだん僕は不機嫌になってくる
化学調味料をひとさじ フライパンをひとゆすり
ウイスキーをがぶりとひと口 だんだん小さなユリも不機嫌になってくる
「ハヤクココキッテヨォ オトー」「ハヤクー」
かんしゃくもちのおやじが怒鳴る 「自分でしなさい 自分でェ」
かんしゃくもちの娘がやりかえす 「ヨッパライ グズ ジジイ」
おやじが怒って娘のお尻をたたく 小さなユリが泣く 大きな声で泣く

それから やがて しずかで美しい時間が やってくる 
おやじは素直でやさしくなる
小さなユリも素直にやさしくなる
食卓に向かい合ってふたり座る

(詩集「小さなユリと」)

【黒田三郎】

詩人。
1919年(大正8年)2月26日~1980年(昭和55年)1月8日。
代表作は、詩集「ひとりの女に」、詩集「小さなユリと」、詩集「失はれた墓碑銘」、詩集「もっと高く」。

あふれる共感

これです。
本当に、我が家を実況中継をされているのかと思うような詩。
食事を用意するほんの三十分。
けれど、こどもがいるというだけで、泣きたくなるほど忙しく、せわしなく、要求に応えられない自分が情けなく寂しくなる。
そんなめちゃくちゃな三十分になるのです。
この詩には、あるあるある!という共感がぎっしりとつまっています。

そして。
最後の美しい時間がやってくるくだりが素晴らしい。
あんなに大変にしていたはずなのに、ふと気が付くと、ものすごく愛おしい瞬間が訪れる。
育児の二面性の不思議さも、あるあるです。



「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」 石垣りん

それはながい間
私たち女のまえに
いつも置かれてあつたもの、

自分の力にかなう
ほどよい大きさの鍋や
お米がぷつぷつとふくらんで
光り出すに都合のいい釜や
劫初からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。

その人たちは
どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
ある時はそれが赤いにんじんだつたり
くろい昆布だつたり
たたきつぶされた魚だつたり

台所では
いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意のまえにはいつも幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。

ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
どうして女がいそいそと炊事など
繰り返せたろう?
それはたゆみないいつくしみ
無意識なまでに日常化した奉仕の姿。

炊事が奇しくも分けられた
女の役目であつたのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても
おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と

それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、

それはおごりや栄達のためでなく
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象あつて励むように。

(詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」)

【石垣りん】

詩人。
1920年(大正9年)2月21日~2004年(平成16年)12月26日。
代表作は、詩集「表札」。

おそくはない

育児のためにキャリアを中断したり、そうでなくとも乳幼児との生活は、社会から断絶されたように感じるものです。

愛情の尊さは全てのフォローにはなり得ませんが、家族のための「たゆみないいつくしみ」を満喫する時間であると割り切るきっかけにはなるかもしれません。

そして。
おそくはないのです。
この育児の経験だって、キャリアになります。
お鍋の前からだって、また始められます。

「未来へ」 丸山薫

父が語った
御覧 この絵の中を
橇が疾く走っているのを
狼の群が追い駈けているのを
馭者は必死でトナカイに鞭を当て
旅人はふり向いて荷物のかげから
休みなく銃を狙っているのを
いま 銃口から紅く火が閃いたのを

息子が語った
一匹が仕止められて倒れたね
ああ また一匹躍りかかったが
それも血に染まってもんどり打った
夜だね 涯ない曠野が雪に埋れている
だが旅人は追いつかれないないだろうか?
橇はどこまで走ってゆくのだろう?

父が語った
こうして夜の明けるまで
昨日の悔いの一つ一つを撃ち殺して
時間のように明日へ走るのさ
やがて太陽が昇る路のゆくてに
未来の街はかがやいて現れる
御覧
丘の空がもう白みかけている

(詩集「涙した神」)

【丸山薫】
詩人。
1899年(明治32年)6月8日~1974年(昭和49年)10月21日。
代表作は、詩集「帆・ランプ・鴎」、詩集「仙境」、詩集「月渡る」。

育児は後悔の連続

叱りすぎてしまったこと。
お迎えが遅くなったこと。
読んであげるといった絵本が後回しになってしまったこと。

育児は後悔の連続でもあります。
けれど、後悔し続けているわけにはいきません。

果てない雪の曠野を行く長い夜のような育児ですが、朝は来ます。

そんな勇気をくれる一篇です。

「I was born」 吉野弘

確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 女はゆき過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。

ーーやっぱり I was born なんだねーー
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
ーーI was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだねーー
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。 僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
ーー蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってねーー
 僕は父を見た。父は続けた。
ーー友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのはーー。

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。
ーーほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体ーー

(詩集「消息」)

【吉野弘】
詩人。
1926年(大正15年)1月16日~2014年(平成26年)1月15日。
代表作は、詩集「消息」、詩集「幻・方法」、詩集「感傷旅行」、詩集「自然渋滞」。

もともと大好きな詩でしたが・・・

命の不思議を思うとき、必ず浮かんでくるのがこの詩です。

もともと大好きな詩でしたが、こどもを生んでからは、お産は命がけであり絶対安全ではないことや、無事に出産できて娘と出会えたことへの感謝を、新たに強く感じるようになりました。

「雨ニモマケズ」 宮沢賢治

風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

宮沢賢治
詩人、童話作家。
1896年8月27日~1933年9月21日。
代表作は、童話「銀河鉄道の夜」、童話「風の又三郎」、童話「グスコーブドリの伝記」。

ツカレタ母の稲ノ束

言わずと知れた「雨ニモマケズ」です。

娘の育児に疲れ果てた頃、この詩のある一節が、どこからか頭の中にやってきました。

「西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ」

この言葉に救われたのです。

何度も、何度も、ツカレタ私は稲ノ束を賢治に背負わせました。

娘の幼稚園での生活や小学校受験が不安な時も、背負わせました。

そして、ずいぶん気持ちが楽になりました。

それまで特に気にすることのなかった一節ですが、母親という立場になってみると、ぐっときます。

育児中の気分転換にぴったり

ちょっと疲れた時、リフレッシュしたい時、ヒントが欲しい時、孤独を感じる時、文字が読みたい時。

詩を読んでみることをおすすめいたします。

短い時間ですぐに読める詩は、育児中の気分転換にぴったりです。

ちなみに、この記事で紹介した詩は全て、国語の教科書に採用されている詩です。思い出の詩があったでしょうか。



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