家族の実話エピソード 幼稚園・保育園

震災と園服

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今はもう小学二年生になった娘。娘が幼稚園に入園したのは、2011年の春のことでした。

超難関ではないものの、一応は受験を経てご縁をいただいた幼稚園。娘の健やかな成長と、受験という場面でこの子を見てくださったということに非常な喜びを感じていました。

百貨店で制服の採寸をしてもらうときも、娘が急に背が伸びて体つきがしっかりしたように誇らしく思ったものです。今思い出せば笑ってしまうくらい小さくてふわふわだったのですが。

そうして幸福のうちに入園を待ちました。

それはいつもと同じ午後でした。娘と公園で遊んでいたときのことです。木製遊具のてっぺんで娘がポーズをとった時、ふわりと地面が浮かび上がりました。

地震だ!

娘を抱えて、公園の中央へ移動し、身を低くして揺れがおさまるのを待ちました。なかなか来ないその時を待ちながら、世の中が変わるのかもしれないと思っていました。

2011年3月11日のことです。

世の中は変わりました。惨状に心を痛め、不安の消えない日々。そんな中、玄関のベルが鳴って、制服が届いたのです。あの、期待で胸を一杯にしてつくった制服が。箱にはチューリップの絵のついたお祝いのカードが入っていました。

けれど、全く違う世界からの届け物のように思われました。今はこんなに不安に暮らしているのに、あんなにしあわせだったことがあっただなんて信じられない。そんな気持ちでした。

娘の幼稚園の付属小学校は新入生に辞退による欠員が出ました。おそらくは避難によるものと思われます。余震と放射能。それらの不安から、私達も夫と相談して母子での一時避難を決めました。もしもの場合の移住も視野に入れた一時避難でした。

あの制服を着ることはできるのだろうか。そんな気持ちで、避難のための荷造りをしました。

西へ向かう特急電車は私たちのような小さなこどもと母親でいっぱい。タクシーでは「避難ですか」と聞かれました。

避難先での日々は思いがけず楽しいものでした。避難が早く、心配していた事態が避けられたことも安心材料になったようです。家族もが無事だったことを純粋に感謝する時間も増えました。娘は余震に怯えることがなくなり、落ち着いて過ごしています。

夫も会いに来ることができる距離です。私はだんだんと避難先の幼稚園を調べるようにもなっていきました。

あの制服を着ることはあるのだろうか。時々、そんな思いが浮かんでくることがありました。

制服は私の執着でした。震災前の生活への執着。誰も彼も、どこもここも、何もかもが元通り。2011年3月11日以前の生活が続くという願いへの執着。ありもしないものへの執着でした。

移住への希望は逃避でした。距離が遠い分、ここでは少し震災を忘れやすくなっています。ニュースで見たあの景色を、人々のことも。

執着を断ち切って、現実に立ち向かう。私はそんなに強くありません。けれど母親なのです。過去にこだわることも、逃げ続けることも、いつまでもはできません。

入園の日が近づいて来ました。私は都内の状況を確認。不安はあるけれど生活できると判断し、入園直前に帰京することにしました。

久しぶりの我が家。娘のクローゼットの前に置かれた制服の箱。やっと制服を着る決心がつき、ハンガーにかけて、入園式に備えました。私と夫の用意も慌てて済ませました。

入園式の日。

あの日、百貨店の試着室で見たのと同じ娘の姿がありました。ああ、とうとうこの制服を着ることになった。その小さな制服姿は、現実に立ち向かうといっては大げさですが、日々を生きていく新たな決心の象徴となりました。

こうして2011年4月、娘は予定通りの幼稚園へ入園しました。入園までには、私の中でこういう葛藤があったのです。あの震災にあっては、些細すぎて何事でもないようなものでしょう。

しかしこれは私には非常な苦しみでした。そして葛藤は今でも続いています。本当に帰ってきて正解だったのか。守るべき存在がいる生活は不安でいっぱいです。震災前の平和への執着も消えていません。

それでも、今を生きるのです。

この記事を書いたママ

厥日績

ゆったり系私立小学校へ通う娘とゆったり生活中のマイペースな専業主婦です。


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